mimiです。
基本的に、人間関係は『狭く深く派』ですが、だからといって、その他大勢を雑に扱わず、思いやりを持って接することができる自分でありたいと思っています。
そんな綺麗事は誰でも思えることなので、行動に移すことができるかどうかだと、自戒の意味を込めて前置きとさせて頂きます。
人間関係について
そもそもどうして『狭く深く派』になったかと言うと、元々私自身『一匹狼』と言われるくらい、あまり広い人間関係を持つと色々気になって、最後は疲れてしまう性格なのです。
とは言っても、社会に出て、そんな個人の都合が通用するわけもなく。
それとなく、浮かないように、周りに合わせることも覚えてきました。
学生時代から私のことを知っている友人には、「あの歩くジャックナイフが…大人になったね」と言われるほど、ツンケンしていたので、今となっては若かったなぁとかなり恥ずかしくなります。
でもね、大人になったからって、激変することもなくて、根本的な部分で変わらないところもある。変えられないというか。
そういうのを含めて、「これが自分だ」と受け入れていくことで、また少しだけ強くなれるというか。
私が学生時代に『歩くジャックナイフ』と思われるほど、尖っていた(?)理由は、
自分のことも、周りの人のことも、大事に思っていなかったから。子供だったから。
だと今になって思います。
大事にする、ということ
何が言いたいかよく分からなくなる前に結論から申し上げると、
自分のことが嫌いなまま、誰かに優しくすることは出来ないんじゃないかと。
思っているということです。
自分のことが嫌いだったので、私に対する好意すべて気持ち悪かったし、
その分悪意ばかりが見えてきて、それくらいなら自分の世界に閉じこもっていた方が良い。
理解してくれる人が少しでもいてくれたら、それだけでいいじゃないかと思っていました。
ただの中二病じゃんか!!
と突っ込んだあなた…
おっしゃる通りです。(真顔)
でもね、これ。
大人になってからも、実は、背後からしっかりと私を見てる「何か」が存在していると思うんです。
「何か」は、隙があればいつでも、私の心に影を落としにやってくる。
大人になったらすべてが思い通りにいくと思っていた。
だから学生の頃は大人の反対を押しきっても自分の好きなようにしてきました。
でも、やっぱり厳しいこともあって。
夢半ばでチキって諦めたことも、未だに、心のどこかに引っかかっている。
でもでも!
私が生きるのは過去ではなく今であって、どこにも、執着しちゃいけない。
失ったもの、ではなく、選んできたものにだって意味があるんだよね。
気を確かに、自分のペースでしっかりと着実に前に進んでいけたらいいなと思います。
自信なんてそんなにないけど、自信がないことを言い訳にせず、仕事に恋愛に、家族のことも友達のことも、楽しく、頑張って、大事にして、趣味であるこのブログや、歌だったり、メイクだったり、新しいことにも挑戦したりして。
もし疲れてしまった時には、ひと休みして。自分の中でGOサインを出せるようになるまではグダグダしても、いいんだよって。
自分に優しくできたら、人にも優しくできる。
自分に厳しくできたら、人にもっと寛容になれる。
大事にしていこう。そう信じています。
それにさ、せっかく女の子に生まれたからさ、可愛いって言われたいし、好きな人から大事にされたい。自分が納得できる姿でいたい。
女は女でいるだけでお金も時間も神経も使うけど、それも楽しい今は。
男とか女とか、関係ない時代ですが。
自分のダメさに凹んだり、今日の私イケてるわ~~と自惚れてルンルンしてみたり。忙しいやつです。我ながら。
自分のことが可愛くて仕方ないヤツは悪?そんなことあるかよ。
なんでもバランスなんですよね。
目指せナルシスト。
さてさて今日は長いですよ。殴り書きでごめんなさい。
1500文字くらい書いて、今回こんなことを書いてみた理由があります。
最近、知人が恋人とかなり悲しい形でお別れすることになったんです。
この話題をネタにするのは非常に心苦しいので、どういう理由でお別れになったのかなどは伏せますが、とにかく、彼女にはどうすることもできない状況になり、お相手の男性が『21世紀でも稀に見るダメンズ』だったということだけお知らせいたします…。
ダメンズだったなら別れてよかったじゃ~~ん!
で終わりではあるんですけどね。
この半年くらい知人から相談を受けていたので、結果的にこうなってしまったことに、どうしても個人的な感情が混ざってしまいます。
ダメンズと付き合ったことで、知人は「元彼は自分のせいでダメンズになってしまった。そういう風にしてしまったのは自分のせい」と、自身のことを責めています。
厳しい言い方かもしれないけど今は「悲劇のヒロイン状態」なのかもしれない。
少なからずそれは本人も分かってるだろうから、私は話を聞いて頷くしかない。
自分がやってきたことが間違いだったと思っている、自分には見る目がない、とか、私も思ったことがある。(やっと上記の話と繋がった。笑)
自己肯定感について
ずっと前に、
自己肯定感が低すぎる人で幸せそうな人を私は知らないな。危機感が人一倍強い(心配性?)とか、謙虚であるとかでもなく、ただただ私なんか・・となる人。気持ちは分からなくもないけど、どうやって声をかけてあげることが正解なのか分からなくなる。そもそもアドバイスなんて求めてないだろうけど。
— mimi (@chiisamemimi) March 8, 2018
こう呟いたのですが。
知人はとても自己肯定感が低いと思う。
自己肯定感がどうだからダメとは言いませんが。
好きだった人とお別れして、色んな負の感情で渦巻いているとはいえ、あまりにも自己嫌悪的な発言が多いんです。
だから放っておけない。
でもこれって誰にもどうしてあげることもできない。
話を聞く分にはいくらでも聞くし、それが気分転換になればいいと心から思っているんだけど、
最近、知人の話を聞いて、私自身もダメージを受けていることに気が付いたんです。
これは知人のせいではなく、私の心に隙間があるということ。
もし私が『広く浅く派』だったら、もう少し違う接し方を知っていたかもしれないな。
どうしようもない形で失恋し、ダメな人と分かっていても執着してしまい、挙句の果てには「元彼には不幸になってほしい。後悔してほしい。許せない。」と言う彼女の気持ちは分からないでもない。
だけど、そこにずっといてほしくはない。
これは私の感情。心の隙間から生まれたもの。
あまりにもヘビーすぎる相談に乗って、聞くだけでいいはずなのに、個人的な感情が入ってしまったということは、これ以上は冷静に聞いてあげられないかもしれないなと。
私は心理学者でもなければ占い師でもない。
頼ってくれるのはとても嬉しいことなんだけど。
私は良き相談相手レベルでいい。
それ以上のことを言ってしまうのは無礼だ。
どうか、知人が明るい方へ歩んでいけるようにと願うことしかできないんですよね。
ここ数日の五月病にプラスされ、この事で少しだけ気持ちが暗くなっているということに気が付いたので、感情移入しすぎず、私なりの見守り方をしていけたらいいはず。
吐き出してみて、だいぶすっきりしました。
知人の状況と、昔の私が被ってしまい色んな感情が渦巻いていた。
だからこうモヤモヤしてたんだ。
分析って大事。。
自己肯定感の低さと謙虚な姿勢を履き違えないように。
それに『言霊』ってあると思うんですよね。
色んな人がいるから、全部を理解したり、逆に理解してもらったりするのは難しいことだけど、『わざわざそんなものに傷ついてあげることもない』場合もある。
言葉が引き寄せてくるものがある、そう感じています。
この記事を読んでくださった方の中には、mimiってやたらプラス思考だな~と思う方もいらっしゃるかもしれませんが…
ネガティブとポジティブは、それぞれ独立した場所にあるわけではなく、むしろ、同じ箱の中に入っていて、お互いが影響し合っているんだと個人的には考えています。
なので、プラス思考なことを言うことで、マイナス思考から少しでも遠ざかっているし、逆にプラス思考になりすぎて良くないときは、マイナス思考なことを言って慎重さを取り戻してバランスを保ってる感じです。
(説明へたくそでごめんなさい)
なんでこう、ズーンとした気持ちで調子が上がらないのか分かった気がします。
私もまだまだ未熟者。
だけど、冒頭に書いたように時間をかけて「変化」してきた。
その都度感じてきた感情や、見てきたものを忘れないようにしたいな。
気が付けば3500文字に迫るほど書いていました。
こんなに長々としていたのに最後まで読んでくださった皆さん、有難うございましたm(__)m
五月病もそろそろおしまいだー!
ここまで読んでくださり有難うございました♡